破戒から学んだ、マジョリティとしての努め
島崎藤村「破戒」
読んだことなかったのですが、映画が公開されているので観に行って参りました〜!
感想をシェアします〜
一言で言うと、失礼ながら想像の100倍よかったです!
観る前は、古い文学作品って感じが否めず、映画の途中でヨダレを垂らして寝たらどうしよう?と冷や冷やしながら行きました。(さすがに寝たら失礼にあたる映画な気がしてたので)
が、結果のめり込むように観て、感動のあまりポロポロ泣く結果となりました。
映画は現代の人にも伝わるようにと原作と違う点があるのですが(一応Yahoo!で原作はおさえていきました)、
やっぱり名作と語り継がれているだけあるんだな〜と島崎藤村のすごさに気づかされました。
なにがすごいかって、1905年に出版された「破戒」。当時、身分制度は撤廃となっているものの実際には差別が蔓延る時代。そんな時代に、この作品を出版することがどれほど偉大なことなのか、勇気がいることなのか、わかったのです!
与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」映画でもとりあげられていたのですが、彼女も、日露戦争あたりのいけいけどんどんで戦争をけしかけまくっていた日本で、この作品を世に出したんですよね。これって、ヘタすると自分の身に危険が及ぶようなだいぶと大胆なことだったんだー!って、やっとわかったみずにんなのでした…!
文学者が、鋭い感性で時代に斬り込みを入れるかっちょいい姿見せてもらいました!
新聞でちらっと読みましたが、今年は水平社宣言から100年ということで、この節目を記念すべく、2年かけて映画の脚本がつくられたとのこと。
シンプルだけど飽きない感じで、当時の凄まじい差別があった時代を非常にありありと描いていました。
破戒が映画化されるのは今回ので3回目らしいのですが、現代を生きる私たちに色んな角度からメッセージを伝えてくれていて、とても勉強になりましたね…!
水平社宣言の言葉が、登場人物の台詞の中で出てきたりしました。そして、炎がこの映画の中で登場人物の心情を示すキーとなっていました。
「人間(じんかん)に光あり」
この水平社宣言の言葉から、そんな工夫にしているのだろうな〜なんて思うと、余計に泣けちゃいました。
どの時代も、その時代を変えようと頑張らなきゃいけないのは、差別される側に立たされるマイノリティではなく、差別する、しない側に立っているマジョリティです。
マジョリティが差別をなくすために頑張らなきゃいけない。
この時代になると、当時に比べれば差別が減りました。しかし、今でも被差別部落出身の人が、真剣に考える機会を与えられる。親は子に言うか葛藤したり、この子はこの先差別されないだろうか?なんていう心配を抱いたりしているはず。
そう思わせてきた、被差別部落出身以外の人が、歴史から学び、もう二度と同じことがないようにしなければなりません。
水平社宣言100周年記念だと、自覚し、行動しなければいけないのは、どちらかというとマジョリティです。なのに、マイノリティの人が、差別に立ち向かおうとしている構図がいまだにありますよね。
もちろん、差別に屈する必要はありませんが、差別しないではなく、差別をなくすと立ち上がることが、マジョリティの努め。
そんな私も、ときにマイノリティで、ときにマジョリティです。それは、誰でもそうですよね。
どの角度からでも、真剣に向き合っていかなければならない歴史が、現代が転がっているんだと、改めて再認識させられた映画でござんした!
みんなもみてね〜!