ベトナムのホーチミンという地名は、人物名からきていることを最近知ったみずにん。
今日は、「ホーチミン作戦博物館」に行ってきました。
入ってすぐに飾られていたホーチミンさん。
他にも、いたるところに石像が。こんな感じで↓
彼がいなきゃ、ベトナムは今でも北と南で睨み合い、戦争、あるいは冷戦状態だったかもしれない。
彼こそが、南北統一を成し得た人物です。
彼は幼い頃に論語と出会い、中国語をマスターし、そのあとはフランスやイギリスで働きながら生活します。そこで虐げられている人々を目撃し、一つの国が一つの価値観を持っているなんて一概には言えないのだということを肌身を通して学びました。
そうやって、世界を歩き学び、きつい思いをしながら私とほぼ同じ年齢の29歳の時に、政治活動を始めました。そして、民族植民地問題を研究します。
そのあとは論文をフランス語で書き、民族自決(民族が自己決定する)=ベトナムの独立のために翻弄します。
彼はベトミン(ベトナムを統一しようとする同盟)を結成し、第二次世界大戦のときにはベトナムを占領していた日本をやっつけようとします。
中国に昔から支配され続け、やっと4代王朝の努力で追い出したのに、19世紀にはフランスが来て、植民地にしてきた。第二次世界大戦では調子に乗りまくってる日本がきて、敗戦して出ていった。
そのタイミングで、ホーチミンはベトナムの国家主席となり、憲法を制定。
そんな中、フランスはベトナムの独立を認めず、ベトナムの南の方で国を作ろうとし始めて和解もできず、さらにフランスの攻撃により、第一次インドシナ戦争が起こる。
フランス軍を追い払い、ホーチミンは国のトップを退きながらも、外交関係に気を配る。
そこにやってきたのがアメリカ。南の方に軍事介入し、北ベトナム(ベトナムは一つの国だー!派)vs南ベトナム(南でアメリカの国を作るんだー!派)が対立。血生臭い争いの結果、ホーチミンの意志を継いだ北ベトナムのすなわち、ベトナムの勝ち。
アメリカを打ち負かし、ベトナム戦争が終結したのは1975年4月30日。解放記念日と呼ばれています。この日を境に、ベトナムが一つの国となっていきました。
ベトナム戦争でのベトナム人の死者は約300万人(その3分の1が民間人)
アメリカ兵の死者は約6000人
かなりの人々が亡くなった戦争ですが、どうしてベトナムはアメリカに勝つことができたのか?
博物館で、作戦の資料を見ることができました。
↑この赤い矢印は、ベトナム兵(北ベトナム)の解放軍たちが進んでゆく方向
青はアメリカ兵(南ベトナム)がいているであろうところのマーク
ホーチミン作戦の際、地図にこういったマークをつけていたとされています。
↑これは、実際に作戦の内容を書くのに使われていたノート。手書きですね。
それにしても、この資料には、必要となる食糧のことまで緻密に書かれていたのですから、賢いですよね。餓死して死なせることがないわけです。必要となる食料も計算のうちだった。
突撃せよー!
みたいな、能無しの勢いではなく、ベトナムという国の生死をかけた脳みそを搾り切った緻密な策だったわけです。
300万人は死にすぎだけど、アメリカに勝利した…。これは、本当に世界的にみても大きいことだったと思います。
戦いの悲劇はむごいものだったと思いますが、被害感は感じず、勝利の功績ばかりが残っている資料館でした。
外には、実際に使われていた戦車や戦闘機が。
戦争が終わってからまだ50年も経っていないなんて、驚きです。
戦争に苦労した歴史を考えると、
↑ベトナムにはこういった広い道が多いのですが、これは戦争が始まった時に戦闘機を飛ばせるように滑走路として確保された道?
なんて思いました。
発展途上国で、今急成長しているベトナムですが、やはり侵略され続けてきた歴史を持つので緊張感もあるのでは?
ホーチミンさんの与えた影響は大きいんだな、ということがわかったとさ。おしまい。