みずにんの日記

のべです!考えたことを記録しております!

焼肉の不条理

今日は焼肉に行ってきました。

生ビールと焼肉で最高の気分を味わい、最後は盛岡冷麺でさっぱりしめました。

 

 

 

こんな考え方あんまりしなかったけど、

肉を食べるとき、生き物の命を頂いてるんだなぁっていう感じがします。

最近になって強く感じるようになってきました。

 

いろんなドキュメンタリーを描いた映画や本に触れていく中で…そう感じてきました。

 

アメリカなんかだと、機械で鳥の頭をシャンシャンはねていきます。すると、頭のない体がしばらく動くんです…。あの映画はきつかったな。

 

日本は、鳥を逆さに持って、頸動脈のところだと思うんだけど、一匹ずつ、そこを狙って刃物でザクッといく。そうしないと鳥が苦しむ。

 

牛は、額のところを、キャパティブボルト(先端に石がついてるやつ)でガンッと殴る。(スタニングと呼ばれる)すると、牛は気絶して足から崩れ落ちます。その間に首の頸動脈を切って血抜きし、一気に解体…

 

鳥にいたっては、スタニングをしてないし

スタニングが失敗することもあるようです。

それは、動物を余計に苦しめるし、屠殺する職人を危険に晒すことにもなります。

 

人は、動物が

生きているときは、かわいいと言い、

殺すときは(あまり「殺す」とは言わないようです。「割る」ということが多いようです)、かわいそうと言い、

食べるときはおいしいと言う。

 

矛盾をはらんでいるのが世の中だと思うけど、

本当に、情けないくらい矛盾してますよね〜(もちろん私を含めての話)

 

だから、おいしい以外のところに、

もっと動物の生きているときに、

目を向けたいです。

 

どんな育てられ方をしてきたのか?

どうやって、処理されたのか?

それは、正しいやり方なのか?

 

みなさんは、どう思いますか?

 

 

わたしは、

大切に家畜されてほしい(衛生面、食べるもの)

本当は生きられる年月の半分も生きていない動物たち…処理されるときは、動物に痛みがないように、職人の危険がないように、麻酔を使ってほしい。そして、亡くなる前は、たくさんごはんをたべて、飼っていた人に優しく撫でてやってほしい。

 

そして、最後は、職人が選べばいいと思います。自分の手でやりたいと思うのか、

機械を使ったほうが精神面や体力面で楽なのか、

その人によって違うのかなと思います。

 

 

 

野菜も魚も生き物なわけで、有り難く頂くぶんには変わりないのですが、(それも人間の勝手な解釈なのですが…)

牛とか鶏とか馬とか豚とか…特に、命を頂いていると実感しますね。

 

わたしは、3年前に飼っていた犬を癌で亡くしました。犬といっても、大切な家族の一員です。目を見れば感情を読み取れたし、心から愛していました。今でも心から愛しています。

 

生き物は、育てていれば情は移るし、自分と同じ「命」だと実感できます。

 

牛も鶏も馬も豚も、この世に頑張って生まれ、生きたいという本能があります。人間と同じです。

 

だからこそ、食べるときは、

「おいしい」という部分だけに

フォーカスするのではなく、

かわいいもかわいそうもひっくるめて、

想像できないとだめだよな、と思います。

 

どこからみても綺麗事ですが、

「うめぇ〜」には、感謝を込めて、命と、命を割る仕事の方に敬意を込めておかなきゃならんな、と思いますね。

綺麗事だったとしても、そう思います。

 

 

そして、改めて言うまでもないですが

命は食用だけに使われているのではありません。

 

牛は、鳴き声以外捨てるところはない

と言われていますから、

ランドセル、化粧品、薬のカプセル、牛乳、油、グローブ等々…私たちの生活に密接しています。

 

 

命を大切にしようというスローガンのもと、

命の上に成り立っている不条理な世界。

 

 

いやはや、それにしても焼肉はおいしいですな〜