みずにんの日記

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「ダブルフェイス」から主人格について考えた

香川照之西島秀俊W主演の、「ダブルフェイス」というドラマを見ました。

このドラマは香港映画をモチーフに作られた作品らしいです。

 

あらすじでーす。

香川照之が演じる高山亮介は、ヤクザのスパイとして警察官となり、

西島秀俊が演じる森屋純は、警察のスパイで、ヤクザになりすまします。

互いに犬として送り込まれ、潜入捜査のようなことをさせられます。見つかると終わりで、周りにもちろん(本物の自分にとっての)味方はいない。味方と敵の板挟みに喘ぎながら、自分を保つことに苦労しながら、両者とも二つの人格をもたされるわけです。

正反対ですが、同じようなことをさせられる二人なのです。

 

わたしはこのドラマを見て、「主人格」という概念について考えました。

「分人」についてはこのあいだブログでも取り上げましたが、

平野啓一郎の小説『本心』という作品の中で、

今度は

「主人格」

という新たな概念が提示されています。

自分の中にあるたくさんの人格の中で、主人格となるものがあり、それが基本的な(自分の中心的な)人格となります。

大人になるにつれて、人は多面的になっていくわけですが、その中で主人格的なものが形成され、

もちろんそれも変わりゆくものです。

「キャラ変」「高校デビュー」というのはまさしく主人格(かは人にもよりますが)の入れ替えとなるわけです。

 

 

ここからネタバレでーす!

 

 

森屋純はタフな男で、6年潜入捜査をやらされて、背中に刺青まで入れますが、主人格は最後まで変わりませんでした。ヤクザという対照的な人格を無理やり形成させられたわけですが、最後まで主人格は警察官としての自分でした。森屋純は、最後、世間にヤクザと思われたまま亡くなる運命なのですが…。(泣)

 

一方、高山亮介は、主人格のヤクザとして生きる自分に、徐々に耐えられなくなってきます。そして、ある日、警察官という人格が、これまでのヤクザとして生きる人格と入れ替わり、主人格となるのです。

そうして、ヤクザとして生きる人格を捨てたいと願い、親分を射殺します。

他にもヤクザの道に繋がりがあると知っている人物を縁を切りたいがために射殺するのですが、

最後の場面ではどうしても切れないヤクザ達との繋がりを突きつけられ、

自分の捨てようとしても捨てられない人格、

お前の主人格はこれだ!って、

自分では主人格を決められない運命を悟り、

絶望するところで物語は終わります。

 

この物語では、

ヒヤヒヤする2人の駆け引きする場面では、

必ずといっていいほど

エレベーターが出てきます。

 

上がり下がりするエレベーターは、2人のコロコロ入れ替わる人格を示しているように感じられました。

こんな対極にある人格を、どちらも内包するなんて普通は耐えられないですよね。

完璧に演じているうちに、それはまさしく自分の人格となり、主人格にまで迫ってきそうになるんですよ。

 

そう思うと、俳優という仕事も相当タフじゃないとやれないですよね。

撮影のあいだ、その役の人格を自分で作って、内包しておかなきゃいけないわけですから。

それが主人格に迫ってくることもあるかもしれません。

 

今のあなたの主人格は、一体どの自分ですか?