ピカソとマティスから考えたこと。
今は、「ピカソとその時代」!
ピカソと、彼と同年代を生きた画家たちの作品が展示されています。これらはドイツのベルリン国際ベルクグリューン美術館からやってきました。ベルクグリューンとは、人名で、パブロ・ピカソやアンリ・マティスなどの作品を秀逸だといち早く気づいた収集家です。彼はユダヤ人で、ナチス政権の抑圧を恐れて1936年にアメリカに渡っています。しかし、ベルリンで戦中に生まれた作品を飾ることに意味を見出したベルクグリューンは、戦後ドイツに戻り、自分の収集した作品をベルリンで展示します。その彼の行動に熱いメッセージを受けとりましたね。激しい差別、迫害のあった場所で、それらに対するメッセージのある作品を展示することが、差別、迫害を乗り超える大きな第一歩となるってことを分かっていたんだと思います。戦中は、平気で画家を取り締まったり、作品の規制をしますから、その作品が展示されていること自体「自由」を獲得した証ともなります。それは平和を望む人々に安心を与えたでしょうね。
彼の収集した作品が東京へ、そして東京から大阪にやってきました。日本初公開の作品が76点もあり、写真撮影okの作品もあったので、紹介しながらこの美術館で考えたことを書きます。
飾られた作品を創造したのは、第一次世界大戦から第二次世界大戦の激動の時代を生きた作家たちです。時代を追って展示されていたので、彼らが表現の仕方においてどのように試行錯誤を繰り返し、やり方を変化させていったのか、よくわかりました。そして辿り着いたアートの究極の形の違いが面白かったので、紹介しますね。
まずは、パブロピカソ。親友が失恋して自殺してから彼の絵は「青の時代」と揶揄されるほど色彩が物悲しくなってしまいます。
その後は恋人ができて明るい色彩を使い出したので「赤の時代」の到来ですね。
写真は撮ってませんが、並べられて展示されていました。
三次元を平面に描こうと、これまでの当たり前を覆していきます。絵の具に木片や砂を混ぜたり、チョークを使ったり、アートに変革をもたらします。
「黄色のセーター」は、ナチスに押収されたのち、ベルクグリューンの手に渡った作品です。戦中、ピカソは時代に異を唱えるため、新古典アートになります。↓
これは、ピカソが戦中に要注意人物とされたときに描いた作品です。
作品は、作者の生きた時代や生い立ちを理解しなければ、理解に到達できない・・・
彼の晩年の作品はこちら。
ザ・キュビスム!概念そのものをつくり、名作を残し続けました。彼は途中やり方を変えたけれど、彼の提唱したアートを突き詰めました。
「新たなアートを生み出し、回り道もしながら突き詰めた」のが、ピカソですね。
次は、アンリ・マティス。彼は、色彩豊かな作品を描きます。とても可愛らしいですよね。個人的にアンリマティスの、可愛い感じが好きです。彼も遠近感を出さずチグハグに描くなど、ピカソと同じように型に囚われないやり方を模索しています。
彼のたどり着いたアートは・・・
切り絵なんです!
平面と簡略化を突き詰めたら、こうなったんですね。よく見ると、重ねることで体の量感を出すなどの工夫が見られました。
「究極のアートは切り絵だぜ!」となったのが、アンリマティスですね。
ちなみに彼らは、
このような立体アートも作っちゃってます。
戦時下でも、彼らは「戦争」は描いていませんが、作品が戦争の影響を受けていたことに間違いはないと思います。そして、彼らのメッセージは、あくまでアートによって語られました。
今回わかったことは2つ。
1つは、斬新で、先端的で、(すなわちこれまでにない形で)時代に抗う作品というのが、時代を超えていくということ。
2つめは、激動の時代に、アートも変革を求められ、受け入れられていくということ。
人々は、世を変えたいと願った時に、これまでにない作品を求めて、そういった作品を受け入れアートとして取り入れることで、これまでにない価値観の世界を目指そうとするのではないかと思います。
ピカソやマティスの作品を作ったのは、彼らであり、彼らの生きた時代であり、その時代を生きた人々の存在なのだと思いました。
私が戦時に生きていたなら、そんな時代を打破するようなインパクトのある作品を求めるでしょうな・・・
彼らの天才的なアート感覚も、時代が手伝って生きた作品となったのでしょう。
さて、今の時代に生まれるアートとは?・・・ふとバンクシーが頭によぎりましたとさ。おしまい。