みずにんの日記

のべです!考えたことを記録しております!

私へ

これは、私の話。

 

明るくて
愉快で豪快で楽しい人 な一方で、

「自制心が効かない」という
弱さも併せ持っている。

だから、言葉を選ぶときも、
思考の垂れ流し状態になることも。

言葉は、相手に気持ちを伝える
「手段」なので、
取捨選択をするということが
大切だ。

が、取捨選択するということは
「自制心を使う」ということ。

相手の気持ちを考えて、
自分の言いたいことを我慢したり
違う表現にしたりすることは
あなたの性分からすると、
かなり苦手だよね。

口にする言葉を
思考のスピーカーではなく
自分が相手に向ける「敬意」だと
思って。

自分が敬意を払っていない相手から、
敬意を払ってもらうことはできません。

リスペクト(尊重)の上に、
人間関係は成り立っている。
相手を尊重し、励まし、愛していると表現するための手段として
言葉を選んで、発してみよう。

そうすれば、相手はどんな反応に変化するのか?
そして自分の心はどんなふうに変化するのか?
実験してみてはどうでしょう?
楽しそうでしょう?

 

と心の中で言い聞かせながら本日も修行中。
あぁ、失敗したな、の連続ですが。
「言霊」とは本当に宿るものと
実感しています。


相手にいい気を与えるのも
やる気を与えるのも
気を下げるのも
すべて自分の乗せた言霊の影響なのです。

 

時に自由に豪快になるのも良し!
ですが、
繊細な言葉選びは、
より、あなたの魅力を増す
手助けになるのでは?と思います。

母のクローゼットを断捨離✨素敵✨

食べたら排泄する

ストレスが溜まったら発散する

物を買ったら要らなくなった物を捨てる

 

代謝のよい生活は、スッキリします✨

 

便秘になったり、ストレスが溜まったり、要らなくなった物がクローゼットの奥に行ったり。

循環がうまくいってないと、どうも心も曇り空になってしまう。

 

先日、母の部屋のクローゼットの中を一緒に断捨離しました。

ここにこんな物があったのね!

埃を被った物があれもこれも。

綺麗に拭いて、「いる」「いらない」の選別。

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スッキリ✨

 

私も母にならって、自分のクローゼットを断捨離。

あら?こんな物がここに。とか言いながら。

 

物を大切にするとは、使ってあげること。

そして、寿命がきたら、きちんとさよならをしてあげること。

 

物の寿命は、耳を澄まさないと聞こえてこない。

着尽くしてクタクタになった洋服

のびきってしまった靴下

毛玉のできた下着

使い心地がいいから、まだ使えるからと、

その物が悲鳴を上げているのにも関わらず使い続けるのはいかがなものか?

お気に入りだったら、なおさら。

感謝してお別れを!

 

代謝のよい生活を送りたいものです。

 

食べたらその分運動を。

遊んだらその分仕事を。

寝たらその分家事を。

笑ったらその分優しさを。

 

そうやって、代謝のよい生活は、好循環な人生になるのでしょうね。

知らない世界に踏み出そう!

この夏10日間、

とある興味ある分野の講座を。

1日90分✖️4コマの講義を受けます。

 

すでに3日間の講義を受けて・・・

 

1日360分のお勉強はとても辛い!笑

 

それでも大人になってから

こんなに学ぶことがあるのか!と。

 

「知らない」ということを知る

 

そんな日々でございます。

 

社会人なってから

実践的に学ぶことが増えて、

何だか知った気になってしまいがちだけど、

それは自分が見えている世界が狭いからで。

 

そこからまた一歩、

新たな世界に踏み込むと

知らない世界が広がって。

 

知らないことがこんなに沢山あったのか!

と驚く。

学習とは、その繰り返しなのでしょうね。

 

「知った」と言うことは

知らない証なのだと。

 

新たな世界が永遠に続く限り、

完全な知る などとは無く。

わからないことがあるという

理解こそが、世界が続くことを理解できたいうこと。

死ぬまで人は、学び続けることができるのでしょうね。

 

 

リカレント教育が大切と言われる時代。

 

知ってると思い込んでいる間は、知らない世界に行けていない証。

学びに終わりはありませぬ!

明日も講義なのに、夜更かし・・・

というか眠れない。

早く寝ましょうね、みずにんさん。

はい、おやすみなさいませ!

 

 

 

 

 

 

新幹線のお供に

みなさん!

新幹線の中で食べるお昼ご飯は

格別に美味しいですわねー!

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海鮮漬け丼をいただいて。

美味しそうでしょう?

寿司屋さんの賄い丼。

これで500円ですよ。

あら、お安すぎやしませんか?

 

デザートには↓
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自動販売機でゲットしたバタークッキーサンド。

ラムレーズン入り。

素通りなんてできませんでした。

 

甘ーいデザートは

ブラックコーヒーといただいて。

 

あとは目的地までぐっすり。

 

最高の心地でした・・・

 

わたしは出張のあるお仕事に憧れがあるんです。

移動が好きだから。

新たな地に行くのも好きだから。

 

来世では、出張のある仕事を?

いいえ、今世でも!

いつか、ね。

 

野望は大きく!

未来の展望は、希望で満ちていなきゃね。

 

さて、おやすみなさいませ!

今年は関東大震災から100年めの年。

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横浜旅の続編。

横浜歴史博物館では、特別展として、「関東大震災」がとりあげられていました。

 

そっか!今年の9月1日でちょうど100年経つのですね。

大きな地震は、歴史的に見て約100年に一度の頻度でやってくるのだそう。

南海トラフ地震がいつきてもおかしくない

というのは、これまで通り100年のスパンでやってくると専門家たちが予測しているからなのですね。

地震の勉強!何かあったら生き延びなきゃ!」

とか思いながらぐるぐる回りました・・・

 

当時の資料や映像から気づいたことは5つ

①川のそばに住んでいると危ない

地震直後の火災によって亡くなる人も多い

地震後は埃まみれになる

地震後しばらく貧富の差が関係なくなる

⑤その地の経済立て直しのチャンスとなる場合も

 

①について

川の氾濫によって亡くなったのか、川の周りに住んでいた人の死者数が多かったです。地震がきたらすぐ川のそばから離れるべし!

 

②について

木でできた家が多かったこともあるけれど、地震の後、火災が起こるのは現代も同じじゃないかな。わずか数分で逃げ場がなくなったそう。地震がおさまったら、すぐ外に出た方がいいのかも。でも、銀行の地下に降りて助かったケースもあったみたいだから、臨機応変に。

 

③について

当時の映像をみて驚きました。人も建物も、埃を被ってました。地震の後、すんごい埃がたったんだって。ちなみに、震災後は死体の山だったそう。映像にも残っていたけれど、ドキッとしましたね。地震がきて動揺している中、外に出るとたくさんの人が亡くなっている状況を想像すると、冷静を保っていられる気がしません。そんな状況下でも、自分にできることは何か落ち着いて考えられるようにイメージトレーニングはしておいた方がいいかも。想定通りにはいかないだろうけど。

 

④について

当時の人が「富める者も貧しき者も、みなが同じように粗末な所で粗末な物を食べ、生きていることに感謝する」というような内容のことを書いてあって、そーだなーと納得。

大きな災害だと、お金も職も、いわゆる見栄を全て捨てざるをえない。ただ、命あることを見つめ、みんなで助け合うしかないですもんね。そんな感覚、味わうことって日常ではまぁないもん。

 

⑤について

横浜では震災後焼け野原のように、何もなくなった地域もあって、そこで経済立て直しのために茶の栽培を始めたり、これまでやってこなかったことに着手したんだって。

ちなみに建物も、一気に建て替えて、ガラリと雰囲気が変わったとか。

災害や戦争があると、ある意味で建物はリセットされるからそこで経済成長できる面もあるんだな。と。

 

気づきはこんな感じ。

最も大きな気づきは。

生き延びたくても個人の努力でどうにかなるもんじゃないなってこと。

「自然」の対義語は「人為」

人と対峙するのが、自然だけれど。

私たちは、自然には逆らえないのは、わかっているはず。

自然によって生かされていることも事実で。

恨むのも感謝するのも、人間の勝手!

 

「生き延びる」なんていうのが、人間の(というかわたしの)勝手だと教えられました。

「いつ命が絶えてもいいように、悔いなく一瞬一瞬を生きよう!」

と、新たな決意に代えて、歴史博物館をあとにしたみずにんなのでしたー!

横浜で見つけた北朝鮮工作船

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ここはどこでしょう?

そう!赤れんが倉庫です!

横浜を旅してきました。

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もともとは輸入したモノを入れておく倉庫だった場所が、現在はショッピングや食事ができる場所になっていました。盛況でしたよ♪

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ちなみにわたしはサンドウィッチとプリンを食しましたが、これがまた美味。

 

赤れんが倉庫は港にあるのですが、そこにこんな建物を発見!

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気になって入ってみると、、


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こんな工作船が!

これ、どっかで見たことあると思いきや、

社会派ブロガーのちきりんさんが以前ツイートしてた場所!

 

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この船は、平成13年12月22日に九州南西海域で不審船とみなされ、日本の巡視船に攻撃されたのですが、逃げ切らないと判断して自爆した工作船なのです。沈んだ船を引き上げて、現在は横浜館に展示してある状態。

たくさんの押収物も展示されていました。

殺傷能力のある武器や、お菓子のゴミ袋、金日成のバッジ、たばこなど・・・この船は沈む直前、海に何か投げ込んで証拠隠滅してから自爆しているのだそう。何を投げ込んだのだろう?

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当時の様子の動画が流されていて、画像は荒かったけど、臨場感すごかった。

 

ちなみに捜査の結果、不法入国や麻薬の取引などに使われていた船であったことがわかったよう。

ということは、日本にもまだ捕まっていないスパイがいるということです。

 

うう、スパイは沢山いるとはきくけれど

この海上保安資料館に訪れてリアルにスパイの存在を感じて、ドキッとしました。怖すぎる。。

 

最後の出口のところでは、拉致被害者の方達の写真や、被害者の親族が「早期に解決を!」と語っているVTRが。

被害に遭われた方達が帰ってくるケースはほとんどない。日本を客観視すればするほど、情けないと思います。拉致された人を取り返せないなんてね。でも、これが現状。

そして、わたしが平和ボケしちゃうような環境であることも同時に現状なのです。

 

さてさて、スパイといえば!

ドラマの「VIVANT」で出てきたワード「別班」

ドラマで初めてきいた!検索すると・・・へぇ!

コナンでいうところの「ゼロ」なる存在?

国が暗黙している日本の治安を守るためのスパイなる存在。

 

うう、平和ボケしてるわたしだけど、誰かに見張られ?見守られ?命をかけて守られ?ているんだろう。

均衡を保たねば、抑止をしなければ、平和にはなれない。なんて脆弱な世界なんだ!

と思ったけど、まてまて。

 

均衡を壊そうとしている人の背景って?

私には飢え死にするくらいの腹ペコがわかる?

子供の頃に親族を目の前で殺されるトラウマは?

わかりっこない。

戦争やエゴを生む背景に目を向けると、私の言葉がなんとも甘ったるい?ような?

 

そして、その真反対のエネルギーである「悪から命をかけて善を守りたいという良心」。

そんな良心によって均衡が保たれている?あるいは、そうせざるを得ない喫緊した状況である者によって?

 

なんというか、その人の立場に立たないとわからないけど、結局は私が語れるのは私の立場からであって。

それはある意味で、傲慢であること。

 

善も悪も、立場によっては逆転しますから。

 

相手の立場に立って、気持ちを理解し、正論をぶつけずに寄り添って、傷つけられても抱きしめるような。そんな寛容さが、この世界に今求められていることなのかもしれませんね。

 

とりとめもない文章ですみません。

 

隣にいる人がスパイでも、そうでなくとも。

親切にするに変わりはないということを書きたかったのかもしれません。

 

と、綺麗事で締めくくっている時点でわたしは平和ボケしてるんです。

完璧主義は捨てていい

さて、今日はもう終わり明日となり。

夜更かししながらぼんやり綴ること。

 

それは、「完璧主義」について。

 

これはこうじゃないとならない!

 

とかいうのは

「こだわり」とも「強迫観念」とも。

響きは違うけれど、どちらも似たり寄ったり?

 

完璧主義じゃなくたっていいではないか!

と思う。

テキトーなくらいでちょうどいい。

心が壊れないで済みますから。

 

ハラスメントで悩み、追い込まれている人が多い世の中。

 

悪いのは私

価値のない私

ダメな私

 

違いますよね。

 

それもある意味思い込み、強迫観念。

 

人に操作されてようとなかろうと、

「完璧じゃなくていい」

「テキトーなくらいでちょうどいい」

そう思って、柔軟に。

 

他者にも押し付けず

他者からは縛られず。

 

追い込まれないようにするためには

完璧主義からの脱出が最優先だったりするのでは?

 

案外、思い込みを捨てれば、

井の中の蛙がピョンと外の世界に飛び出ることもあるのでは?

 

蛙が苦しんでそうな時は

「あなたはそのままで価値がある」

と、勇気を与えるのが井の外の人間の役割だったりするのです。