みずにんの日記

のべです!考えたことを記録しております!

話の比率は、事実2、意見8にしませんか?

最近、話には2種類あるな、とわかってきました。

それは、聞いてられる話と聞いてられない話です。

 

聞いてられる話というのは、興味を持ち続けて、集中して聞ける話という意味で使ってます。

で、そんな話の中身は、

「相手が伝えたいことを中心」に、根拠を明確かつ端的に伝える話。

聞いてられない話は、聞いていてうんざりしてくる話です。いやいや、興味ねぇよ!って言いたくなるような話。

で、そんな話の中身は、

「事実(あったこと)を長々」話し、最後に伝えたい意見や考えを短くサラッと伝える話。

もちろん、自分が学びたいと思っていることの事実を知り続けることは苦じゃないですよね。そのために、わざわざ話を聞きにいく場合もあるほどです。(事実まんさいの資料館とか大好きです)

でも、相手が一方的に自分が知っていることや、身の回りで起きたことを話し続けるだけの話は、はっきりいって最悪。だってそこには、伝えたいメッセージ、自分の意見、考えがないから。

 

 

 

たとえば自分が好きなドラマがあったとしてそのドラマから人間の面白さを感じたという話をするとき、

好きなドラマがある→事実

人間の面白さについて→意見、考え

 

前者の場合(意見中心)は、

「私ね、最近THIS IS USっていうドラマをみたんだよね。そのドラマがさ、めちゃめちゃ展開気になる話でほんとにハマったんだよ。でね、ドラマではさまざまな登場人物にスポットライトがあたるんだけど、私はそれをみていてきづいたんだよ…」

ここまでは事実ですよね。

この先は意見です。

「人ってさ、自分の生き方が正しいとか、人の生き方を間違ってるとかそんなこと言うけど、人の生きていく道に正解も不正解もないんだって。正解をたとえじぶんの子どもでも押し付けちゃいけないんだって。だって、誰でもキツい時期ってあるし、苦しむこともあるし、でもはたからみてたら、そうやって、もがいている姿も美しいんだよね。自分の子どもが16才で妊娠して生みたいって言ったら、みんなならどうする?(審議タイム)私は、まず、その子どもの意見を聴いて尊重するべきだと思う。前まではめちゃ反対するタイプだったけど、このドラマを見てそんな固定概念も捨てちゃおうって気になったんだ〜」

 

こんな話になります。自分の意見をもって話してるし、前置きがくどくないからイラつきません。人に意見もきいて、この話を深めよう、って意識があるから話してる。

 

後者の場合(事実中心)は、こうなります。

「私ね、最近THIS IS USっていうドラマをみたんだよね。そのドラマがさ、めちゃめちゃ展開気になる話でほんとにハマったんだよ。三兄弟のケヴィン、ケイト、ランダルがいて、この三人の兄弟が中心となって過去、現在、未来に、いったりきたりするの。でね、この三人意外にも、親や、子どもなど、派生して色んな家族の形、生き方が描かれるんだ、よね。ドラマではさまざまな登場人物にスポットライトがあたるんだけど、たとえば、ランダルは養子で黒人なの。すると、本当の親がいるでしょう?その本当の親が出てきたりするんだよね。でさ、それが感動的でさ〜感動の再会を果たすんだよね。あれは泣けたな。season5まで、でてて、season6で最後だから、もう少しで最後が出るんだよね…。」

ここまで事実です。聞いてる方の表情、放心状態じゃね?って感じしません?

で、意見?にもなんないけど最後に

「このドラマをみて、人って色んな生き方があるんだなぁって思ったんだよね。」

みたいなオチが。

 

 

この違い、わかりますか…?

前者は、意見を中心に話しているから、聞いてられます。

でも、後者は、事実を中心に話しているから、聞いてられません。

 

意見があるから人に話す価値がある。それを理解せずに事実をたらたら話す人は、人の時間を奪っているだけです。そんな話を聞いてくれるのは、カウンセラーの先生みたいな、「聞くことを仕事にしている人」か、過干渉な「親」くらいです。

時々、最後に意見をちょろっとも話さず、事実のみ話し続ける人もいる(!)のですが、さすがに、この時間何?と顔をしかめずにはいられなくなります。

 

何か自分の考えがあって、それを一緒に深めたりするのが楽しいのに、

事実を長々話す人の話をきいていると、

そんなの自分をわかってほしい!と主張するただの駄々っ子だろ!と、呆れてしまいます。

聞いている側のストレスも考えて…。

 

人の振り見て我が振り直せ。

わたしも、気をつけなきゃ、です。

 

話の比率

事実2 意見8

がベスト!