分人を知ったとき、目から鱗でした
平野啓一郎氏が説いている「分人」について、今日は大学のときの後輩と語り合いました。
みなさんは「分人」きいたことありますか?
人はいくつもの人格があり、その人格すべてでその人はできている、という考え方です。
つまり、ひとりの人は何人かの自分で構成されている。
家族の前、一人でいるとき、友人の前、初めて会う人の前、恋人といるとき、ペットといるとき…その場面場面で、現れる自分。
ある人は、人というのはたくさんのペルソナ(仮面)をもっていて、そのときどきで付け替えている。だから、ペルソナを外した時に現れるのが、「本当の自分」だと言う人がいます。
平野啓一郎は、その考え方に意義を申し立て、「分人」という新たな考えを提唱しました。
ペルソナを外す瞬間なんていうのはない、ってことなんですよね。
その人の本物、なんていうのはない。ときどきで使い分けるペルソナ、その全てが、その人なんだ、ってことです。
わたしはこの分人の考え方を知ったとき、
目から鱗でした。
それを理解できた時、自分を理解できた気がしましたね〜!(スッキリーでした!)
飼っていた犬を亡くしたとき、苦しくて悲しくてたまらなかった。それはもちろん愛していた存在がこの世から消えた苦しみ悲しみです。しかし、その大切な存在とともに失うものは、その大切な存在に見せていた、「自分(の一部)」です。
飼っていた犬にしか見せていない「自分」が消滅してしまう痛み。その存在にしか見せていない部分が大きければ大きいほど、失うときは、相当にこたえます。
人は多面的です。
どれだけそばにいても、絶対にその人を理解し尽くすことはできません。必ず見えていない部分があります。
そんなことを、平野啓一郎の小説はいつも教えてくれます。(面白い!)
まだ読んだことのない人は、平野啓一郎さんの本、チェックしてみてくださいね!