臆病者に心の舵を握らせない
どこからが余計なお世話で
どこまでが気遣いなんだろう?
と、最近考えます。
余計なお世話と気遣いの境界線ってなに?
私は、もしかしてこの人困ってるのかな?と気づくと
居ても立っても居られず、自分にできることをみつけたら、行動に移さないと!と思っちゃいます。(自分にできることはないと判断すれば、それは流しますが、大抵は何かできることあると思うのです)
でもそれが、余計なお世話に見える人から
「あの人もあの人で考えがあるんじゃない?」とか「そんなことしなくてもいいと思います」みたいな言い方で、指摘されることがあります。
そのときは、責められたような気がして、傍観者に指摘されることにエネルギーをすり減らすことになります。
何が正解かって、やってみないとわからないし、やっても正解だったかなんてわからないけれど、
もしかしたら困ってる?と、想像できたなら、気遣いをすべきだと思うんです。
もちろんそれが、何も行動に移さないという気遣いになる可能性はあるけれど、
困って他者の力を借りたいとき、必要な時って誰でもあると思うんですよね。
正義感を振りかざしたいわけではないし、押し付けたくないし、私はそんな善人でもないです。
自分が一番かわいいし、誰かのために犠牲になるのはまっぴらごめん。
でも、できる範疇でできることを恐れずに挑戦していきたい。誰かからの評価のためではなく。
そう思って、自分の意思を貫こうとすると
必ずその意思をへし折ろうと、嫌味を言ってくる、存在を否定する輩が現れる。
そういう人は、自信がない自分を肯定したくて、「わたしは考えているのよ。だから行動しないの」と自分に、人に言い聞かせるためだけに攻撃してきます。
もし、自分がこう行動したほうがいいんじゃないかな?と思ったら、
失敗してもいいと思います。挑戦しましょう!
人からのブレーキに心の舵を振り回されてしまったら、自分の意志が行動の舵を握れなくなってしまう。
他者からの評価に怯えるのではなく、否定されたことに傷つくのではなく、自分の信念を貫き通しましょう!
それが誰かのための行動ならば。
臆病な奴に負けるな!
ってことで、おやすみなさい。